八百八狸
先師は、二つの夢の話から始めました。
本久寺に行くと、二人の親子の坊さんが、修行に行くと話している。どこに行くのかと聞いたら、「香川の由佐に本部があって、そこに行く」と言う。その場所は丘だった。畑を通って行くと、小高い丘が見え、松がたくさん生えていた。
もうひとつの夢は、茶店があって、中に入ると、土間の奥に部屋がある。そこには茶箪笥が置かれ、お婆さんが病気で寝ている。嫁さんが子供を抱いている。そこへ、師が入ると、「見破られた」と言い、茶箪笥が揺れた。
そこへ行かなければと思った師は、高松に向かった。高松に行く船に大工が二人、地図を見ている。その地図には、高松と書いてあった。その時、「香川の由佐へ修行に行きます」という言葉を思い出した。大工に「由佐はありますか。」と聞いてみた。「高松を降りると、由佐がありますよ。」と答えた。高松に着き、香川を変更して、由佐への行き方を聞くと、直ぐバスが出ると言われたので、乗った。眠かったので、運転手に、「由佐に着いたら起こしてくれ。」と頼んで寝た。「終点。」と言われて起きた。「由佐で起こしてくれ。」と頼んだはずだと抗議したが、「いや、終点で起こしてくれ。」と言われたと言って、取り合ってくれなかった。ちょうど昼時なので、一膳飯屋に入った。中に入ると、夢に見たとおり、お婆さんがいて、茶箪笥があり、嫁さんが子供を抱いている。師は、「この家もあなた方も知っている。」と話した。二人はびっくりしていた。そこで、「この辺に、神社みたいなものはありませんか。」と聞いた。「たいして珍しい物はないが、冠尾八幡という神社ならありますよ」と答えた。それで、そこに向かうバスに乗った。着いて、バスを降りると、晴れているのに、雨が降ってきた。それで、「ここだ、間違いがない。」と思った。歩いていくと、丘が見える。松が生えている。夢と同じだ。道路が通っているが、ちょっと前までは、畑だったという。ここへ来る2・3日前、田原町の仏具屋で、ふざけて神主の冠をかぶったことを思い出した。冠尾八幡のご神体は、冠だと言う。弘法大師の甥の智澄大師がここを通りかかると、火の玉が現れ、老翁が出てきた。それで、大師は、将来ここは、霊験顕著な場所になると予言した。あるとき、岩清水八幡から冠を頂戴して、神社になった。その脇に、倉谷という場所があり大狸が住んでいるという。本殿に行くと、八幡様でなく、大狸がいた。師がお経を上げていくと、様々なことが分かった。松山の八百八狸の戦いは、実は、八百八狸と冠尾八幡の戦いだった。八百万の神の力を借りて、八百八狸を封じ込めた。その狸は、中国から渡って来て、大変な力を持っている。もともとは、高い位であったが、狸になってしまった。
そこから、急遽封じ込められている松山に行きお経を上げた。しかし、何も感じない。とりあえず、お山に戻った。
昭和41年松山空港の墜落事故。全員死んだ。しかし、助かった人がいた。その事故が起きるに前に、師は、夢を見た。真っ黒な海から、もがいている人を二人助けた。空中から助けた。そのさらに十年前、お千代という店の娘に、その子が10歳のとき、お経を上げてあげた。その時、「この子は19歳になると命がない、今から信仰しないと大変だ。」と、師が言ったと言う。しかし、師は、その言葉を忘れていた。その娘は、やがて、相当な家の息子と婚約した。祝福を受けて、結納。新婚旅行は、四国の松山。しかし、旅行が迫ってくると、母親の頭に師の顔が出てくる。娘が死んじゃう死んじゃうと半狂乱になり、結婚は破談。そして、事故が起きた。その飛行機の予約がしてあった。母親は破談にしたと責められていたが、事故が起きて、感謝され、どうして分かったのかと聞かれた。お山に助けていただいたと言った。それで、お山にお礼に来た。師は、「お礼をしないと大変だよ。代わりに死んだ人がいるのだから。私も松山に行ってあげるから、旅費も全部持ちなさい。」と言った。しかし、やらなかった。娘は、不幸になってしまったという。
その前後から、「十六夜の月の光をここの谷、苔むすままに待ち焦がれつつ」という歌が頭に出てくる。1月15日新年会。その日になると、その歌が何度も頭に出てくる。それで、「十六夜って何だ。」と聞くと、旧暦の十六日の月と分かった。明日が十六日、十六夜だ。それで、直ぐ松山に向かうことにした。松山に降りると、どんより曇っている。ここの谷、九谷というところはあるかと聞いても、そんな所はない。ふと見ると、バスに久谷とある。昔は、九と書いたのかもしれないと思ってバスに乗った。
七つ川の淵で、お経を上げていると、庵主(宗主)さんの頭に、状景が映った。地下の穴のずっと奥に、牢があり、大狸がいる。その周りに蝦蟇がいて、狸に息を吹きかけると目が見えずへなへなになる。周りを矢の柱が取り囲んで、出ようとすると突き刺さる。お経が終わったが、何か納得できない。とにかく旅館に帰ろうとしたが、車がない。その時、土地の人が、この人たちが困っているからといって、炭屋さんの車を止めた。小さなスバルに乗り込んで、バス停まで行き、バスに乗って旅館に帰った。
旅館で、風呂に入っていると、閃いた。教えて頂いた。「今日が、十六夜。その月の出とともにお経を上げないと、封が解けない。」直ぐに、新聞で調べた。後2分で月が出る。しかし、どちらに向かってあげるのかが分からない。お線香を立て、とにかく戸を開けて、お経を上げ始めた。ふと見ると、厚い雲に覆われた真っ黒な空がわずかに切れ、空が見えた。そこへ月が現れ、光が見えた。雲の裂け目は、正に月一個分。「十六夜の月もろともに闇晴れて、妙の雲路に遊ぶうれしさ」たった一巻のお経が終わると、直ぐ月は雲に隠れ、裂け目もなくなった。「成就したぞ。」と思った。「そのときの感激といったら・・・、この喜びを味わえる人はないんだよ。」と師は話してくれました。
町に出て食事をしたら大粒の雨。帰ろうとして、坂の上に登ると、空が明るくなり、入道雲の中に、大きな狸が見えた。ひげまで見えた。一匹の狸ではあるが、過去は大変な方。お山から、○雲という名前を頂いた。冠尾八幡に行き、高松でのんびりしようと思っていたが、早く京都の岩清水八幡に行かなければという気持ちが沸き起こった。急いで、京都に向かい、旅館に着いたのが、夜中の三時。翌17日は、大祭の終わりの日。神主が、ぞろぞろ山に登っている。一年間に神社に返ってきた白羽の矢を集めて焼いている。狸を封じた矢を焼いてもらった。この矢を焼いてもらわなければ意味がなかった。
この狸の縁で、たくさんの方が救われた。「『神の間に間に』というのはこのことを言うのだよ。増上慢であれば、気がつかない。お山の縁のものは、子供の心を持って、いつでも使って頂ける態勢でなければいけない。」と師は語ってくれました。十五日に気がついて、直ぐ行かなければ、間に合わない。大工さんに聞かなければ、違う所へ行っていた。一膳飯屋に入らなければ、きっかけがつかめない。スバルに乗れなかったら、月の出に間に合わない。直ぐ京都に行かなければ、成就しない。ぎりぎりの機縁を結び、奇跡を積み重ねて、封を解いたと言えます。